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【2024/05/19 04:06 】 |
鬼さん鬼さん、ここまでおいで

微笑ましい、子供の「鬼ごっこ」での決まり文句です。
「鬼」という、追いかけることが宿命の者に対し
逃げちゃうこと前提で「ここまでおいで」と挑発し
追いかけると、蜘蛛の子を散らすように「わーっ」と逃げて
体よく弄ばれた鬼さんは、地団駄踏んで悔しがる遊戯。

こんなドSな遊びにも似た現象が、町奉行同心の皆さんの日常でも
しょっちゅう起こっていました。

みなさんもご存知のとおり、町奉行の同心の皆さんのお仕事は
悪い人を捕まえることです。

江戸の昔から太陽に吠えろ(古)の現代まで、刑事(同心)といえば
体力の続く限り犯人を追い掛けるイメージがあります。

昭和の刑事なら、街中から追跡を始めたはずが
走りに走って、いつの間にやら
どこぞの埠頭にまで到達してしまうケースも多々あり
刑事さんの体力と執念の前に、とうとう犯人は観念するのでした。

しかし、江戸時代の同心のみなさんは、せっかく追い詰めた犯人が
ある場所に逃げ込むと、泣く泣く追跡を諦めなければなりませんでした。

その場所とは…お寺や神社です。


なぜお寺や神社では犯人を捕まえられないか、というと
仏や神の前でそのような無粋な行いは慎むべき…
などという綺麗事ではなく
単純に、お寺や神社が町奉行の管轄ではなく、寺社奉行の管轄だったからなのです。

つまり、縄張りの問題なのです!
ここでも縦割り行政なのです!!!


…というわけで、手を伸ばせば捕まえられそうな状況でも
いったん犯人が境内などに逃げ込んでしまえば
同心のみなさんは、寺社奉行に赴き

「これこれこういうわけで、おたくの管轄内に犯人が逃げ込みました
 つきましては、捕まえといてください」

と、のんきなお願いをしなければならないのです。

江戸の町でお寺や神社に駆け込むなんざ、現代の街中から
埠頭に出るよりはるかに容易だったと思われますので
犯人にとって、お寺や神社は、本当にサンクチュアリだったのです。

ちなみに、同じ理由で同心が虚無僧に職質を掛けることも
できませんでした。

…見るからに怪しいのに。

鬼・兄上

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【2008/07/13 22:49 】 | 同心の生態
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