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【2024/05/05 20:56 】 |
それって、賄賂。

「旦那、これは心ばかりの…」

町人らしき男がそんなことを言いながら、
蕎麦をすする主水さんの脇に金を置いて行く。
「おぅ、すまねぇな」と、当たり前のように頂く主水さん。

「必殺シリーズ」で、ほぼ毎回のように見られるワンシーンですね。

あれを見るたび

主水さん、アコギやわあ、
ああやって、町人からみかじめ料を巻き上げて、払わない町人には
難癖つけて嫌がらせするんだわ

と思っていました。

でも、実際は、主水さんに限らず、ほとんどの同心・与力が同じような
金を「付届け」として受け取っていたようです。
そして、それこそが、彼らの生活を支えていたそうなのです。

そもそも、同心の方々は非常に薄給で、とてもお給料だけでは
生活できないのが実情でした。
そこで、大抵の同心は必ず内職を持っていたのですが
町奉行の同心だけは、常に懐に5両ほど(50万円前後)のお金を
持っているほど潤っていたのだそうです。

芸能界の重鎮なみではないですか…。

で、その財源が、先程の付届けなわけです。

一人一人の付届けは大した額でなくとも、総合すれば
かなりの額になるのです。
かなりの額すぎる気もしますが。


では、なぜ、堅気の町人がそのようなお金を贈るのでしょう?
まっとうに生きている人々が、警察に袖の下を渡してまで
便宜を払ってもらおうとしていたことは、一体何なのでしょう?

答えは「犯罪の揉み消し(=通称、抜け)」なのです。

…ものすごく不穏な響きです。
現在でも、警察がこんなことをしたのが明るみに出たら
大スキャンダルです。
ついに、同心標本は、江戸の昔から連綿と続く
警察の腐敗にメスを入れるのでしょうか…
ドキドキドキ

江戸の昔でも、盗難事件などが起これば、その被害者は
証人として奉行所に赴かなければなりませんでした。

その場合、当然、仕事は休んでいくわけで、今のように
年休制度などありませんので、一日の儲けを棒に振っての
出頭ということになります。
長屋の住人なら、大家さんに付き添って貰わねばならず
大家さんへの日当も払わなければならないので
経済的に痛手です。

仮に盗難にあった金額がごくわずかだとすると
被害額より、奉行所に出頭することによる損失のほうが
大きくなり、割の合わない事態になります。

このような場合、日頃から金で手懐けている懇意にしている同心に頼み
盗難の事実を調書から抜いてもらうのです。
これが「抜け」なのです。

ちなみに当時は
「被害が金一分・銀十匁(もんめ)・銭十貫以下の訴訟は
取り上げない」
という決まりもあったようです。
金一分とは一両の1/4なので、時代によって変化するものの
今の金銭感覚で2.5万円ほどでしょうか。

しかし、銭十貫を金に換算すると二両二部になるそうです。
二両二部ってことは、25万くらいってことですよ。

…大金ですが…。

ちなみについでに
当時は「十両盗めば首が飛ぶ」という言葉があった一方
空き巣被害が十両以上であったとしても、犯行時間が昼間
だったりすると、盗まれる方にも落ち度があった、として
犯人は叩き刑で済んだとか。

この金銭感覚…

なんだか、よく分からんです。

自覚ナシ

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【2008/09/07 22:47 】 | 同心の生態
鬼さん鬼さん、ここまでおいで

微笑ましい、子供の「鬼ごっこ」での決まり文句です。
「鬼」という、追いかけることが宿命の者に対し
逃げちゃうこと前提で「ここまでおいで」と挑発し
追いかけると、蜘蛛の子を散らすように「わーっ」と逃げて
体よく弄ばれた鬼さんは、地団駄踏んで悔しがる遊戯。

こんなドSな遊びにも似た現象が、町奉行同心の皆さんの日常でも
しょっちゅう起こっていました。

みなさんもご存知のとおり、町奉行の同心の皆さんのお仕事は
悪い人を捕まえることです。

江戸の昔から太陽に吠えろ(古)の現代まで、刑事(同心)といえば
体力の続く限り犯人を追い掛けるイメージがあります。

昭和の刑事なら、街中から追跡を始めたはずが
走りに走って、いつの間にやら
どこぞの埠頭にまで到達してしまうケースも多々あり
刑事さんの体力と執念の前に、とうとう犯人は観念するのでした。

しかし、江戸時代の同心のみなさんは、せっかく追い詰めた犯人が
ある場所に逃げ込むと、泣く泣く追跡を諦めなければなりませんでした。

その場所とは…お寺や神社です。


なぜお寺や神社では犯人を捕まえられないか、というと
仏や神の前でそのような無粋な行いは慎むべき…
などという綺麗事ではなく
単純に、お寺や神社が町奉行の管轄ではなく、寺社奉行の管轄だったからなのです。

つまり、縄張りの問題なのです!
ここでも縦割り行政なのです!!!


…というわけで、手を伸ばせば捕まえられそうな状況でも
いったん犯人が境内などに逃げ込んでしまえば
同心のみなさんは、寺社奉行に赴き

「これこれこういうわけで、おたくの管轄内に犯人が逃げ込みました
 つきましては、捕まえといてください」

と、のんきなお願いをしなければならないのです。

江戸の町でお寺や神社に駆け込むなんざ、現代の街中から
埠頭に出るよりはるかに容易だったと思われますので
犯人にとって、お寺や神社は、本当にサンクチュアリだったのです。

ちなみに、同じ理由で同心が虚無僧に職質を掛けることも
できませんでした。

…見るからに怪しいのに。

鬼・兄上

【2008/07/13 22:49 】 | 同心の生態
被告人を恥刑に処す


前回、難儀なお奉行こと牢屋奉行の石出帯刀様の
話をしましたが、今回は牢屋にブチ込まれている
罪人に処せられる数々の刑の中から
「これは…ありえない」
と、現代人なら誰もが唸ってしまう、よりすぐりの
「恥刑(笑)」をご紹介しましょう。


■入墨

これはもうお馴染みですね。
時代劇なんかでも、何かの拍子に二の腕の入墨が
見えて
「おめぇさん、遠島帰りだったのか…」
てな具合になったりするアレです。
要するに、前科者に印が付いているというわけで
「更生の可能性を信じ情状を酌量し…」などという
現代の考え方の対極を行くようなものです。

ですが、江戸などは着物で隠れる箇所に入墨するし
腕に沿って輪っかのように線を入れるだけなので
まだ良心的かな…と。
紀州の場合、場所は肘の上あたりですが、思いっきり
「悪」と彫られます。
分かりやすすぎ。
でもこれ、アメリカのヒップホップ系とかも入れてそうですよね。
じゃ、イケてるのか?
クールなのか?

そんなことはともかく…

一番キツいのは、額に彫られるパターンです。
ですが、高野山では坊主のおでこに丸い「●」が彫られていて
なんだかありがたいご面相になってしまっています。
そこへいくと肥前の場合、場所は同じく額でも「×」ですから
情けないことこのうえないです。

しかし、入墨のパターンは数あれど、キツいことで一番有名なのは
「芸州広島」で決まりでしょう、文句ないでしょう。

haji1.jpg

注:「この桜吹雪を見忘れてかぁ」等の、いなせな兄さん方が
入れているのは「入墨」と言わず「彫り物」と言って区別していたそうです。


■晒し刑

文字通り晒し者にする刑ですが、それで終わりというわけではなく
本来受けるべき刑の前にやる、プレ刑だったようです。
代表的なのは「心中未遂」で、日本橋のたもとに「この人らは心中に
失敗しましたよ(泣)」と書いた立て札を立てて三日間晒された後
身分を落とされる処分を受けたそうです。

晒されて恥ずかしいとはいえ、心中未遂となると、ちょっと色っぽい
感じもあり、絵的にはありかな、と思うのです。
結構キツいのが僧侶の場合。

僧侶が女犯の罪を犯すと、まずは心中未遂のように晒されるわけですが
その後、所属する寺に戻され寺法によって処分されたそうです。
この寺法による処罰というのがすごい。
というか、手元の資料にある解説の図がすごい。
どうしてこんなことになっているのか、どの寺の処分方法なのか
そのへんの説明はなにもないのですが、まずは、そのインパクト
の大きすぎる処罰の図をご覧ください。

【2008/05/26 00:44 】 | 番外編
「こちらも難儀な帯刀さん」

紙芝居では、相変わらず難儀担当の帯刀さんが
体を張って頑張っています。

ですが江戸の昔には、それこそ江戸中の難儀を一人で
背負う、本物の「難儀担当」の帯刀さんが
いらっしゃったのです。

その名は、石出帯刀。
お手当ては三百石。
お住まいは、小伝馬町一丁目。

お仕事は、牢屋奉行。

そう、この方は、江戸の悪人たちを収容する
小伝馬町の牢獄を監督するお奉行様なのです。

この方、何が難儀といって、職業と名前が世襲制なのですよ。
つまり、石出家に生まれた長男は、ずーーーーっと
「牢屋奉行の石出帯刀さん」
ということになるのです。

今で言えば、刑務所の所長さん。
そりゃ、お仕事は大変だろうけど、生涯、職が保障されてて
結構なご身分じゃないの、と、つい思ってしまいます。

ですが…

問題は、この方のお住まいです。

なんと、石出帯刀さんのご自宅は、牢屋敷の中にあるのです。

現代に置き換えれば、刑務所の敷地内に自宅があるのです。

自宅住所、塀の中。


しかも、石出帯刀邸としての門や入り口はなく
出入りは牢屋敷の門から。

てことは…

学校から帰ってきた子供も、お買い物から帰ってきた奥方も
みんな、刑務所の重い門を開けてご帰還ということですよ。

うう~む…

しかも、牢屋敷の門の前では、ときどき「叩き刑」とかが
行われているんですよ。

ビシビシとシバかれている罪人の横を、「ただいまー」とか
言いながら子供が帰宅。

うわあああああ~~~
なんか複雑だぁ~~~

「叩き刑」は刑というより軽い罰だそうですが、それでもムシロの上に
褌いっちょでうつ伏せにされ、両手足を押さえつけられて
背中をビシビシやられてるんですよ。
ビジュアル的には、結構、すごいです。

ですが、お父さんの職場が見える環境、という意味では、案外
いいのかもしれない…

などと思ったのも束の間。

やはり牢屋敷は、そんなヤワな所ではなかったのです。

牢屋敷の中には、石出帯刀邸以外にも、牢屋敷で働く
同心やら下男やらの長屋があります。
石出様のお屋敷は当然、一番大きいのですが、問題はその場所。

石出邸の裏手…というか奥には、米蔵を挟んで「死罪場」があるのです。


昔の死罪と言えば、斬首です。
要するに、帯刀さんちの裏手では
割と頻繁に人の首が切り落とされていた、ということです。
ギャアァァァァ━(゚Д゚|||)━!!!!!!

普通、そういう場所は、お家から一番遠い所に置くでしょ!
なんで誰よりも近い所に住んでいるかな~石出様~。

手元の資料によると、斬りおとした首が落ちる穴の、更に屋敷寄りに
「様場」というのがありました。
「サマバ?」…はて、何だろうと思って読み進めていくと、少し先に
「様(ためし)場」とありました。

そう…そこは、首を刎ねた罪人の体で、刀の様(ため)し斬りをする
所だったんです。
(TДT|||)

石出邸と死罪場の間には蔵があるとはいえ、あの距離では聞こえる…
ずぇったいに聞こえる。
声とか…色々…。

…………怖すぎだろ!!

牢屋奉行

↑牢屋奉行ギャグ

P.S.
最後の最後に気付きましたが…これって「同心ネタ」じゃありませんでしたな~。

【2008/05/11 14:42 】 | 番外編
「年末はドキドキ」同心

2008年が明けて既に2週間が過ぎようとしておりますが
みなさま、いかがお過ごしですか?

本年も、本館同様、この「同心標本」をよろしくお願いいたします。

さて、2週間前といえば、2007年の年末。

クリスマス、冬休み、大晦日、カウントダウン…。

新年を目前に、目白押しのお祭り騒ぎ。
興味がある人も、ない人も、テレビや街中の
浮かれた気分に触れたひとときではなかったでしょうか?

ですが…同心の皆さんにとっては、まったく浮かれてなどいられない
年の瀬だったようです。

それというのも、同心という職業は原則1年契約だったそうで
よりにもよって大晦日の夜、上司である与力に呼ばれ
来年も契約を更新するかどうかを言い渡されていたというのです。

年も暮れようかという、まさにその夜、上司の口から

「また来年も頑張って」と言われるか

「もう来なくていいよ」と言われるかでは

迎える正月も雲泥の差!

なんともシビアな大晦日です。

実際のところ、よほどの問題でも起こさない限りは
大晦日の夜に永のお暇を頂くことはなかったそうです。

しかし、「よほどの問題」というのが、どの程度「よほど」なのかは
具体的には不明なのが引っ掛かります。
なんらかの事件を起こしたのなら、すぐにお縄になってしまうで
しょうから、大晦日を待たずに免職のはずです。

ということは、上司サイドで同心の悪事のネタを掴みつつも
大晦日まで泳がせておくことのできる程度の「よほどの問題」
ではないかと考えられます。

…こうなると、かなりハードルが下がってきてしまいます。

同心には「左遷」とか「減俸」とかいった罰則的待遇はなく
「継続」or「クビ」の二者選択だったそうなので
ちょっとでも後ろ暗いところのある同心は、与力の顔色を
窺いながらのヒヤヒヤ年末だったに違いありません。

与力だって誰もが聖人というわけではないでしょうから、きっと
因縁的解雇だってあったはずです。

今も昔も、宮仕えって…。 

 年末のヒトコマ

【2008/01/14 01:59 】 | 同心の生態
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